匂い

キャリーケースを開けた。
あの頃の匂いが、むわっと広がる。
忘れていた、使いかけの衣類洗剤とスーツケースベルト。
あの時その場所見た景色が、頭の中を駆け巡る。
最後の旅行はいつだっけ。

いつも一人だった。
高校三年生で東京に行くことを覚えた私は、キャリーケースを握りしめて飛行機も夜行バスも。
手段は何だって良かった。
アジアの観光客しかすれ違わないホテルに泊まって、近くのコインランドリーに通った。
海外にも行った。
空港で何もわからないのに、親切心だけを頼りにあちこち見渡して何も怖くなかった。
英語はいつも赤点だったし、ついてきてくれる友達もいなかった。

寂しかったことなんかない。
どこまでも、行けると信じていた。
自由だけが欲しかった。
お金なんて、若さと愛嬌でいくらでも手に入れられる。
頑張ったことなんてない。
生きていることだけが全てだった。
あれは何年前だっけ。

いつの間にか地元に戻って、キャリーケースは埃をかぶっていた。
流行り病を言い訳ときっかけに、私は一人になりたがらなくなった。
キャリーケースの中でワクワクと孤独は、久しぶりに開けた私の今を見て驚いたに違いない。
スッカリオチツイテシマッタネ。

寝室では、まだ夫が眠っている。
昨日会った友達の新しい一軒家は、とても素敵だった。
今度は育休中のあの子に会いに行く約束をした。
冷蔵庫には貰ってきた桃と、朝に食べると言って買ったヨーグルト。
ワクワクと孤独は、少し笑って、変わらないねと言った。

うるさい。

コメント