母が爬虫類だと知ったのは、私が30歳をすぎてからだった。
私の左腕、肘より少し下の内側、皮膚の薄い部分の肌が荒れた。かさかさと表面が荒れて、少し赤くなっていた。気になるのでとりあえず手持ちのボディクリームを塗っていたものの、良くなることもなく、かゆくも痛くもならなかった。長袖を切る季節になると目に映ることも少なくなり、何故か荒れている左腕、ということが当たり前になっていた。
私は気温の変化が苦手だ。小学生のころ、6月と10月ごろに必ず冷汗が止まらなくなる日があった。教室の窓側、日の当たる場所で何でもないふりをしてじっと動かなくなる。体は異常なほどに冷え、日差しが当たっていても寒くて震える。友達に話しかけられても、機嫌が悪そうな顔でいることしかできない日が、年に2回、必ずあった。
数時間経つと嘘みたいにケロリと治るので、誰にも言う必要はなかった。季節の変わり目だと大人たちは言っていたし、体調を崩す時期らしい。暑くなる日々に向けて、食中毒や熱中症を怖がっていて、寒くなるころにはインフルエンザや風邪を怖がった。くしゃみをすると上着を重ねられ、手洗いうがいを監視される私の生活で、数時間だけの急激な体調の変化を気にする必要はなかった。
冬になると、実家では必ず石油ストーブを使っている。気温が15度を下回るころには、もう部屋を暖める。
おばあちゃんちにはコタツがあった。玄関を入ってもひんやりとしていて、すぐにコタツに逃げ込む。寒い寒いと言いながら、みんなで入るコタツが私は楽しくて好きだった。母は冬のおばあちゃんちに行きたがらない。あの家は寒いから、と言って嫌がった。イルミネーションも冬のキャンプも、母は極端に嫌がる。お花見や海水浴には毎年行ったのに、冬になると家から出なくなる母が、子供のころは面白くなかった。
左腕の炎症が、わき腹にも移っている。左のあばら骨が浮き出るあたり、手のひらぐらいの広さで、赤くただれた。さすがに皮膚科に行こうかと思う。
先生は、季節の変わり目だからでしょう。と曖昧に答えて塗り薬をくれた。言われた通り、お風呂上りに毎日塗った。私の左側は何故か荒れている。曖昧な薬は使い終わったが、効果があったのかわからない。
鎖骨から首筋にかけて表れたあたりで、時々心配されるようになった。痛くもかゆくもないんだと笑うと、不思議そうに労いの言葉をくれる。申し訳ないような気持ちになるので、首の詰まった服を選んで着るようになっていた。幸い、顔や手先には出ていない。私もなんとなくやり過ごしていた。
30歳になった年越しは、久しぶりに実家で数日すごそうと思う。時々顔は出していたけれど、何日も一緒に過ごすのは18歳で一人暮らしを始めて以降一度もなかった。母は、そのままにしている私の部屋のベッドに、布団を敷いて待ってくれていた。ベッドの脇には、中学生のころ好きだったアーティストのステッカーがあの頃のままで、少し安心する。高校の文化祭で使った派手な花飾りも、ぐるぐると巻き付いたままだった。
お風呂上りに鎖骨あたりの私の肌を見た母は、何も聞かずにキッチンの戸棚から小さな缶を取り出して、これが効くから、と渡してくれた。
缶を開けると、ツンとするハーブのような匂いがする。甘いような土のようなこもった匂い。思わず顔をしかめると、効くから、とだけ言って軟膏状のうす緑色に濁ったそれを塗ってくれた。少しピリピリと感じるが、ひんやりとして気持ちが良かった。左腕の内側とわき腹のあたりにも塗って、くすぐったいような感覚に笑っていると、母は少し涙を浮かべたように見えた。
翌日、鏡を見て驚いた。鎖骨のあたりの肌は、何もなかったかのように綺麗になっている。左腕もわき腹も、嘘だったみたいに何もない。何の薬かと戸棚の缶を確認すると、裏にも表にも何も書いていない。母に尋ねると、昔のアルバムを一冊引っ張り出してきて、パラパラとめくり「これお母さん」と、一枚の写真を指差した。
爬虫類のような頭に人間のような体つき、とても奇妙な姿が写っていた。母にこの頃の記憶はないらしい。気がつくと父に恋をし、気がつくと人間のような姿になり、私が産まれたらしい。父が撮ったその写真は、愛らしい表情に見えた。
缶の薬は、父がどこからか買ってくる。放ってくと今でも爬虫類に戻ろうとすることがあるようで、父はこの薬を欠かしたことは無いのだと言った。つまり、私にも爬虫類の血が流れているということだ。
昨夜からリビングでテレビを観ているだけの父。母は「私から伝えておく」と言ってくれた。なぜか父には言いづらい。この症状を一番知っているはずなのに、私も母も、本当のことを知ろうとはしなかった。
30歳を過ぎてから、こんな症状と付き合っていくことになるとは思わなかった。少し分けてもらった缶の薬を鞄に詰めて、私はまた一人暮らしの家に戻る。父と母は、「また帰っておいで」と送り出してくれた。
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