愛を探し求めた女が愛をあきらめた話。
「愛されたい」
最初に強く感じたのは小学生に上がったすぐの事だった。これまでの安心には母の存在が絶対で、母がいれば怖いものなんてなかった。母の後ろについていれば、なんだって乗り越えられる気がした。
小学生に上がった頃、不安というものを強く感じるようになった。
家の近くの小学校までの道、角を曲がるときに必ず吠える犬がいる。細い道に、小学校一年生の背丈には覆いかぶさるほどに高い垣根。突然吠える犬。通学が毎日不安になった。母が手を繋いで歩いていても、犬が吠えると怖かった。こんなに近くにいてくれるのに、心細くて不安だった。
好きな人は車の前に飛び出して、「ね、死なないでしょ。」と笑った。
笑顔しか見たことがない、色白で小学生ながらにひょろりと伸びた彼の手足。にこにこと車の前に飛び出して、死なない現実を笑った。
初めて付き合ったのは中学三年生の時だった。可愛いって言ってくれてる子がいるよ、と友達に言われると意識せずにはいられなかった。私たちは付き合った。彼を好きだったらしい友達は、泣いてクラスを味方につけた。
「潰れるほどお酒飲んだことないの?」
バンドをやりながら、実家の近くのスーパーでアルバイトをしている彼は18歳の私を笑った。痩せれば完璧なのにね、が口癖の彼は私よりもなん十キロも重い女を抱いていた。あの人には気をつけた方がいい。と彼女は言っていたけれど、恋をしている眼は隠せなかった。演技をするなら男を知らないといけないと言った、いつかのワークショップの監督の言葉を思い出しながら、彼に抱かれようと決めた。飲み会があって、私は無理なゲームに参加して見事に潰れて、街路樹にゲロを吐きながら家に向かい、数人の男に見守られながら、いつの間にか処女を捨てた。18歳なんて、処女としての期限は過ぎている。寂しいと夜明けに泣きながら、彼の袖を離せなかった私には何の価値もなかった。
同じ時期に経験を積んだ友達と「あっけなかったね」なんて話しながら、18年間私たちは何を求めていたのだろうと思った。好きな人と深く関われる瞬間に訪れるはずの、幸福を感じたかった。幸福なんかなかった。
一緒にいてほしいと言うと、必ず行為はついてくる。隣で大好きだよと抱きしめてくれるだけで良かったのに、私にそんな価値はなかった。一緒に過ごしてくれるなら、何でもいい。そう思い込んでこれも愛の形なのだと笑って受け入れて、笑っていると怒られた。
「恥ずかしいとかいらないから。」
「そんな言い方やめてよ!」
と、言えない私は嬉しいふりをして、大好きな彼に尽くした。何でもやってあげるのは、私がここにいないからだよ。いつかどこかに置いてきた私が、今ここに帰ってきませんように。だってこんなに一緒にいてくれる。彼を失うのが怖かった。
私を置いてきた私は弱かった。弱いことを自覚していて、付け込まれるのが怖くて、何も感じないフリだけが上手くなっていった。必要のない場面でふくらはぎを触られても、首筋に顔が近づいても、嬉しい顔が得意だった。もっと言えば、そうすることで一緒に過ごしてくれる誰もが欲しかった。孤独と不安は私の弱さに比例して、愛されたい私が手に入れられる愛は私に向けられたものではなくて、でもそれしかなかった。ないものは仕方ない。
身に着けた私らしさでお金を稼ぐようになった。
少しでも気に食わないことがあると、彼らの顔は一変する。恍惚としていた瞳に、殺意までも透けるような、暗い暗い奥が開く。彼らはいつもさげすんでいた。「俺だから許してあげる。」「俺で良かったね。」「他の人には手に負えないでしょう。」みんなが言った。ふたりの秘密を作りに来ている彼らは、また大勢の社会に出ていく。頭を下げて罵られて妻の機嫌をとって、またここに来る。自分以下の人間を見るために。「当たりだった。」と誉め言葉のように言うけれど、私は景品ではない。ただし、本当の私は。ここには商品の私しかいない。お金を払って買われる、並んでいる商品。どんな仕事だってそうだろうと思う。技術を売る、サービスを売る、食べ物やそれにまつわる時間を演出して売る。それを喜んで買う人たちがいる。買うために、その人が持っている何かを売る。その中の私という商品は、社会に馴染めているのだろうか。みんなと同じように暮らしの中で、いつか愛する人と愛を確かめ合えるのだろうか。
私は結婚する。そう決めたのは私だった。同じ年齢層の周囲の人が結婚出産を経験する様子を見て、やってみたくなった。
簡単な収入源をやめる。生きていくために選んだ私の仕事となっていた関係を、すっぱりと切った。愛のある家庭をつくる。結婚してもいいよと言ってくれた人は何も持っていなかったけれど、私のいろんなことを優しく叱ってくれた。会いに行くと言ったズルズルと関係が続いていた全てのことを、そんなんじゃダメだと叱ってくれた。愛される対象はこの人だけでいいのだと嬉しかった。私は愛を手に入れる。優しい愛を受け取って、確かめ合いながら生きていく。離れないように、結婚する。愛の約束だと思った。私とあなたは、一緒にいる未来を約束した。してくれたことが嬉しくて、何があっても頑張ろうと決めていた。もう離したくはなかった。あの頃の、消えてしまいそうな私に戻るのは絶対に嫌だ。愛を知っていたころの私は、戻ってきてくれるだろうか。ここには愛があるのだから。
夫婦というのは簡単じゃないようで、みんなに聞いていた関係とは何かが違うようだった。結婚してすぐに、夫は職場の女と一泊旅行をして帰ってきた。家中のものをひっくり返して泣き叫んだ私に、何もなかったと面倒くさそうに言った。こんなに寂しいのはおかしい。だって未来まで愛を約束したのに。夫に依存している自分が疎ましくて仕方がない。私の愛は何かが間違っているようで、夫が視界から見えなくなると不安で仕方なかった。愛されるということが、こんなに寂しさと往復しなければならないなんて聞いていない。依存から逃げたくて都合のいい関係をやめられない私と、「大人の関係希望」と匿名で募る夫。私たちは愛し合っている。
二人でいると笑いが絶えなかった。一緒に出掛けたテーマパークも、奮発したごはん屋さんも、家で見るYouTubeも、ふざけあって愛を確かめた。その瞬間が私の愛のすべて。大好きな人と今日も一緒に朝を迎える。それ以上に何が必要というのだろう。あんなに寂しい瞬間が来るせいで、この時間さえも疑ってしまう。愛されているはずの私はがむしゃらだった。大丈夫と何度も唱えて、歯形が残るほど嚙みついた。
愛を確かめたい。愛されているとはどういうことなのだろう。夫は私に答えられなかった。今のままで幸せだよ。という夫からは未来の約束は感じられなくて、ただ毎日に不満がないことだけが漂っていた。違う。絶対に思いたくなかったのに。違う。これが愛だと熱く語って離さないで欲しい。寂しさを忘れるほど、苦しいほどに愛を伝えて欲しい。争いを好まないのは優しさじゃない。私に対する怠惰だ。離婚しようと思った。
私を尊重するかのように、すんなりと私の姓は元に戻った。愛を手に入れたと思っていた人生のたった二年間は、私の中に小さく残った。家に帰るのがあんなに嬉しかったのも、ご飯を作るのがあんなに嬉しかったのも、誰かが私の暮らしに触れていてもらうのは心地が良くて、夢みたいな二年間だった。いつも見えないようにふわふわと暮らしを重ねていて、見えない私たちは本当に幸せそうで、たまに思い出して泣いた。
数カ月後、好きな人ができた。こんなに簡単に私はまた誰かに惹かれるのかと思うと、これまでのことがさらに馬鹿々々しく思った。この人だけと決めて愛を信じるなんて無意味だった。こんなに愛は溢れていて、私は結局いろんな形で愛を受け取っている。寂しさは変わらないし、振り回される対象が夫だけではなくなったというだけだった。好きな人とすごす時間は特別で、ふんわりと約束をしただけでも会えるぐらいの関係にすぐになった。誰かにいてもらうことなんて簡単だ。私を考えない。ニコニコと都合のいい私でいること。求められることなんてこれだけで、悲しいほどに嫌われなかった。
「子供が欲しいからもう会えない。」
と言ったのは突然で、面倒くさいからいらない、という一つの理由しか考えたことすらなかった私は驚いた。「子供欲しいって言ったら、付き合ってくれる?」気持ちの悪い質問に彼は声を出さずにうなずいて、絞り出すような声で「子供欲しい。」と唸った。
もう好きになっていた私は、優先されなかった私自身に傷付いて、それから考えた。意味が分からない。これから一緒に過ごすのは、愛する人であって、子供を産んでくれる人じゃないだろう。これまでの自分の行いは棚に上げて、非道徳だと非難したりした。愛しているから好きだと伝えて、愛しているから一緒に過ごして、その愛はふたりの間で交わされるものなのに。私が他を探さないなら僕も探さない、というその人は、私に何を見ているのか。曖昧に過ごしたって私たちに未来はない。私が欲しい愛はない。
突然音を立てて崩れた。
現れたのは、私が家族をつくる可能性。家族という不確かな何かを、一人では持つことのできない愛を、つくり上げる。それは私自身に与えられる、また、私が幾度となく様々な形で与えようとした、愛とは全く別のものに思えた。受け取ることも、渡すことも、魅せることも出来ない。果てしなく不確かで、果てしなく広がる。誰かとの間につくり上げる永遠に続くかもしれないもの。がんじがらめになっていた寂しさが少し柔らかくなったのを感じた。
私は愛されたかったわけじゃない。愛したかったのでもない。私たちという暮らしを、誰かと新しく始めたかったのだ。ひとりの弱さを恨まなくてもいい、私が不完全でいられる私以外がいてくれること。「愛されたい」は「協力したい」だったのだと感じた。
友達が言った。「家庭は会社だから。」いかに協力して回していけるか、家庭という団体をともに運営していく相手、それが夫なのだと語った。
寂しい考えだと思っていた。特定の誰かを他と比べられないほど好きになって、結婚するものだと30歳になっても考えていた。それが私を寂しさから救ってくれる唯一の方法だと信じていたし、誰かに好きだと言われる瞬間は、寂しさから私を確かに救ってくれた。一瞬しか感じられなかったとしても、その瞬間を一分、一時間、と増やしていけば、私は寂しくないはずだった。
人生に協力者を求めてもいい。そのことがこんなにも心を軽くするなんて不思議だ。私は昨日と何も変わっていないのに、昨日よりも認めてあげられる。だって今はひとりなのだから。ひとりでいる必要がないことに、どうして気づけなかったのだろう。これまでだって、たくさん人を頼って生きてきた。申し訳ない気持ちと、いつか優しいその人たちが離れていくのを恐れながら、そばにいてくれる人がいることは、とても寂しかった。寄りかかってはいけない。一人で立とうと必死だった。愛していない私の負担を背負ってくれる人なんて、いるはずがないと思っていた。もう会わない人にだけ思いっきり甘えられる、私の弱さがまた私を苦しめた。
もう苦しさから抜け出せるのかもしれない。気づいたばかりの緩んだ寂しさを抱えたまま、「愛されなくてもいい」と明るい部屋を眺めた。
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