指輪が緩くなった。 2人で買いに行ったときには、これがぴったりだと思った。 まだ半年しか経っていない。 あの日の私は浮腫んでいた。 まだお酒を飲む癖が抜けなくて、先輩に貰った缶ビールを仕事終わりにぐびぐびと飲んだ次の日だった。会社から駅までの道。道路脇の小さな公園でなんとなく、仕事の話なんかをダラダラとしながら、2,30分だけだったと思う。 わたしがほろ酔いで帰っても、夫になる人は何も言わなかった。 おつかれさま。不器用な野菜炒めの炎の前に張り付いて、焼きすぎた魚のにおいがグリルから溢れ出る。あたふたと手際の悪い後ろ姿に、家族という文字が見える。 わたしはおもしろくなかった。 ツンとしたまま大袈裟にソファに腰かけて、わざと大きく振り返ってキッチンを見た。 ちょっと待っててね。 これが彼が描く家族。積極的にキッチンに立つ優しい夫と、仕事を続ける自由な妻。穏やかな時間が私を締め付ける。 ほんの一瞬だった。 2本目の缶ビールに手を伸ばす私の前髪をかきあげて、おでこに唇が触れた。たったそれだけの事だった。わたしは手元に視線を落としたまま、ヘラヘラとプルタブを起こす。子気味いい音がして、意識が分散する。たったそれだけの事だ。わたしは何もしていない。 指輪を買いに行こうよ。 崩れないように慎重に、菜箸で魚をつついている後ろ姿に聞いてみる。力が入るのがわかった。間が開いて、いいよ。とだけ返ってくる。鼻をすする音がして、まだ魚を触り続けている手が少しだけ震えていた。わたしはこの人が好きだ。 バリバリの野菜と固くなった豚肉、味付けは塩コショウしか知らない。張り付いて崩れた身を、誤魔化すように並べた焼き魚。緊張したまま机に向かって腰を下ろして、いつも通り振舞おうと下手な笑顔で話しかける。明日、指輪を買いに行くことにした。 もう何か月もお酒は飲んでいない。 緩くなった指輪をクルクルと回しながら、キッチンの後ろ姿を眺める。やっぱり焼きすぎた魚を剝がしながら、チラとわたしの視線を確認する。変わらないことに安心してへへへと笑うと、夫も変わらない顔で笑った。
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