コウちゃん

出会わなければよかった。

 出会いはいつもあっという間で、簡単に仲良くなってしまう。趣味や血液型の話をするような出会いに私は恵まれない。何を話したかも覚えていないのに、楽しかった気持ちの出会いが意味をつくる。当たり前に続くLINEは私には特別で、いつも一番上に名前が上がるのはずるい。一度フラれた私に今も連絡をくれるなんてずるい。全部好きだった前の彼女の顔も名前も知らないけれど、私とは似ていないことだけ知っている。想像の彼女は華奢で背が低くて笑うとあどけなさが残るたれ目で薄くそろえた前髪とサラサラのミディアムヘアを揺らして肩をすくめる。目に見えることしか、私を落ち着けることはできないことを知っている。好きな映画は配信していないし、うちにはDVDを観られるテレビはない。数日前に飲みすぎたことを未だに引きずりながら、最近教えてもらった音楽をいつもより大きめの音量で部屋に流す。私という生活しか見えない部屋で、知らない声の音楽が少し歪に聞こえる。
 久しぶりに雨が降った。少し涼しくなってきた、まだ真夏と言える八月のコンクリートを濃く色づける。派手な色の私の車はきっと好みじゃない。すぐに肩を組む癖は、背の低い元彼女の痕跡。身長の変わらない私には似合わない癖を見せないで。今度会う約束もないまま、待ち続けるのは頭が悪い。500mlの水筒に入るだけのコーヒーを淹れよう。
 Uターンして暮らした、最初のワンルームマンション。田舎のくせに狭いワンルームの部屋は、隅に置かれた二枚扉のワードローブだけが収納場所だった。玄関を入れば目の前にキッチン、隣にはお風呂場の扉、あとは四角い箱。笑って入ってきたコウちゃんは、当時の彼氏だった。振り返った時にカバンに当たった、ホーローのポットを落とした。鋭い音とともに、赤いポットの底が黒く剥げた。私はどうでもよかった。大事にしているポットの底が剥げたことよりも、コウちゃんのいる事実が増えたことが嬉しかった。キッチンのすぐ横に玄関があるせいでタイルに接触した赤いポットを、私は一生捨てられない。この狭い古いワンルームも嫌いじゃなかった。
 コウちゃんはバイクに乗ってやってくる。隣の県から仕事終わりに、3時間かけてやってくる。乗せてと言っても絶対にダメだった。とてもやさしい人だと思った。コウちゃんは怒らない。私が何をしても笑って許すだけだった。親子丼がしょっぱくても、顔をゆがめて頷いて食べた。霞んだ緩い声はいつも笑みを含んでいて、刺々しい私の声を慰めた。好きとも愛してるとも言わなかったけれど、私はコウちゃんといると嬉しかった。突然釣りに出かけたり、行きたいごはん屋さんに連れていったりしてくれた。少し前を歩いて、私のことを待っている。何も知らない私は、コウちゃんだけを見て喜んだ。
 別れるかどうする?と聞かれたのは、私が派手に泣きじゃくって謝罪している最中で、別れる以外の選択の仕方がわからなかった。そのあとヘラリと笑うと、何で泣いたの?と聞いたコウちゃんは私の知らないコウちゃんだった。相変わらず優しい口調と思い付きの遊びで何度か会ったけれど、私の知らないコウちゃんは困っていた。
 コウちゃんは、私のことを好きだったんだとその時はじめて気づいた。居心地のいい声と笑顔とぬくもりを受け取れるのは、好きな人だけの特権だった。無知な私はその後も、好きだと伝え続けた。コウちゃんは彼女を作らなかった。
 初めて靴紐を結べた日も、初めて漢字が書けた日も、初めて歌った日も、初めて泣いた日も、覚えていない。思い出すのは誰かの表情と、ぼんやりとした私の意識。泣きじゃくる私の写真を撮る父が嫌いだったけれど、父は私を愛していた。
 いつかの私を探している。いつの間にか人生の先を行く、人の流れに置き去りにされて、未だに県外に住もうかとアルバイトの男と夜を過ごす。信頼のできない安心が私を支配する限り、人生の先には進めない。素敵ではない私の人生を、素敵だという誰もが私にはならずに信頼を得る。まだ嫌いにならないで。
 大型の台風を警告する通知がスマホに浮かんでも、スワイプ一つで忘れられる私を、誰が愛するのだろうか。

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