みやい

半袖

雨上がり、夏の匂いが無くなった。じんわりと肌を冷やす湿度が通過する。まだ半袖で駅まで歩く。私は少し恥ずかしい。水溜りに右足を引っかけて、すぐに染み込んだストッキングが気持ち悪い。傘を持たずに家を出たせいで、帰りが遅くなってしまった。髪の内側...

匂い

キャリーケースを開けた。あの頃の匂いが、むわっと広がる。忘れていた、使いかけの衣類洗剤とスーツケースベルト。あの時その場所見た景色が、頭の中を駆け巡る。最後の旅行はいつだっけ。いつも一人だった。高校三年生で東京に行くことを覚えた私は、キャリ...

右手

毛先だけ、茶色く染まった肩までの髪、後ろ姿、左手にエコバッグ、右手に息子。左腕をぐんぐん引かれて足が絡まる。それでも必死に離さない。振り向いてくれない母親の、右手を絶対に離さない。誰よりも愛、これが愛だと疑わない。当たり前に引っ張る、母親が...

歪み

あなたの隣で息を止めた。私だけでも時間が止まればいいと思った。私を助手席から降ろしたあと、彼はまた家族を始めてしまう。知らない女の人がアイロンをかけたシャツを着て、知らない子供にパパと呼ばれて、ニコニコと食べ終わった食器を洗って、今度の日曜...

猛暑

バチンバチンとアスファルトに体を打ち付けながら、セミが突然飛んでいく。外に出るのは危険な暑さらしい。町内放送で流れていたのを聞いていたけれど、おばあちゃんはお墓参りをやめられない。もう、バケツに水を半分も入れると運べなくなっていた。私が走っ...

実家

久しぶりに実家に帰った。周りの緑が少し増えていて、さらさらと吹く風が懐かしくて暖かかった。ぼーっと眺めていると、中から「おかえり」と笑顔で迎え出てきてくれた。知らない女の人だった。入ってみると、ガラリと雰囲気は変わっていた。本棚もテーブルも...

赤信号

信号が黄色に変わる。アクセルを踏み込んだ。赤に変わるのを確認しながら、踏み込んだままの右足は緩めなかった。真っ昼間だというのに見通しの悪い交差点、粉々になればいいと思った。赤になったから、危ないから、止まれと言われて止まるのはもう嫌だった。...

ゲロガメとオハナ

ゲロガメです。ゲロガメは、亀の甲羅が背中についた蛙みたいな見た目をしています。ゲロガメは、ゲロもガメも気に入ってはいなかったので、いつもウサギの耳を模したカチューシャをつけていました。ゲロガメは、オハナと一緒に住んでいました。ゲロガメはオハ...

二人暮らし

白濁した中でゆらゆら揺れるふつふつ弾む。牛すじ肉の頭がてらてら光る。暗くなったリビングの電気も付けずに、キッチンでふらふらと漂う。もこもこのスリッパが脱げないように、足の指先に力を入れてすいすいと回る。もうすぐただいまが聞ける。おかえり。朝...

相槌

さっきまで悪口を散々に言ったあとで、隣で相槌を打ちながら大好きと軽々口にする光景に吐き気がする。自分がどれだけ必要にされているかを他人の言葉を使って証明してみせて、正しい自分の味方を増やす彼女といると心が疲れる。そうやって愛想笑いを引き出し...