黒い虫

電気のチラつきと瞬きが重なる。目の端に映った黒い虫が私に向かって飛んでくる。今日はコンビニのおにぎり一つしか食べていないのに、喉の奥に何かがつかえて気分が悪い。お風呂上がりの緩んだ身体にもまだ緊張が残っている。いつまでも前に進めない私の背中...

2年

2年間の夢は覚めた。ぎゅっと瞑っていた目を開いて、映る世界は混沌としている。覚めてみるとそれまでのことはぼんやりとしていて、始まってしまった新しい生活はこの2年間なんてなかったかのように、わたしにあっさりと馴染んだ。結局ふたりの会話は何も変...

生活に過去

繋いだ手からわたしじゃなくなっていくのが心地いい。泥のついた手を水で洗い流して触れる香りが好きだった。まだ新しいオートロックのアパートと夜中に食べるカップ麺と昼すぎまでベッドから起きないことと絶対にわたしを殺さないのが好き。無意識に世間に背...

古いアパートに住もうわたしのお給料で足りるぐらい昭和の香りが残るぐらい安さが売りのスーパーの近くでわたしが毎日ごはんを作るから朝が怖くならないように夜が来たら一緒に眠ろうカーテンを開けて朝日が目覚めても憂鬱にならない日をおくろう今夜もあなた...

我儘

あなたが我儘になるほど、わたしは嬉しくなる。気を許してくれている怒りっぽい姿は、わたししか知らないままであってほしい。お母さんになっちゃダメだよと友達は教えてくれるけれど、そばにいられるなら嬉しかった。お金も時間も欲しかった。あなたに使うた...

おばちゃんち

2軒隣が火事になった。その日、わたしは小学校を休んでいて、母と2人だった。細い路地を挟んだ向こう側、大きな炎が2階の窓から見えた。母は私をギュッと抱きしめて震える声で、大丈夫だからね。と言った。実家の2階、お姉ちゃんの部屋から2人抱き合った...

焼き魚

指輪が緩くなった。2人で買いに行ったときには、これがぴったりだと思った。まだ半年しか経っていない。あの日の私は浮腫んでいた。まだお酒を飲む癖が抜けなくて、先輩に貰った缶ビールを仕事終わりにぐびぐびと飲んだ次の日だった。会社から駅までの道。道...

頭皮

もうあとは家のローンを払うために、馬車馬のように働くだけだよ。二十歳の私をベッドに転がしたまま、ガラスのテーブルから煙草を拾う。好きでもない小太りのこの男と結婚した奥さんは可哀そうだ。まだ30そこそこのくせに脂ぎった頭皮に乗っかった、パーマ...

肌色

小さいころ、おばあちゃんちの隣に小さな公園があった。学校から帰るといつも遊びに行った。ある日いつものように公園に行くと、少し年上の男の子たちに靴が変だと笑われた。その時のわたしは一番のお気に入りの靴を履いていて、かっこよくて大好きだった。女...

こども包丁

お母さんの手伝いが好きだった。家族が着る洗濯物を畳むのが好きだった。私が切った野菜を美味しいと食べてくれるのが嬉しかった。私が手伝うとお母さんは、勉強をしなくても怒らなかった。いつも学年上位の成績のお姉ちゃんは、雨の日に2階の窓から教科書を...